周防大島文化交流センター
周防大島町平野417-11
TEL 0820-78-02514
星野哲郎記念館
周防大島町平野417-11
TEL 0820-78-0365

平成29年度 星野哲郎スカラシップ
星野哲郎スカラシップ(奨学金)は、平成19年7月の「星野哲郎記念館」開設に際し、作詞家星野哲郎先生から周防大島町に感謝の気持ちを込められて「星野哲郎スカラシップ」の名称で、島の子ども達や島の学校へ通う子ども達へ学資資金を授与するものです。
本町では、町内に在住または通学する高校生等に対し、奨学金を支給し、学業、芸術、文化、スポーツ等の様々な活動を支援しようとするものです。
本スカラシップの趣旨をご理解いただき、周防大島町公式サイトにて内容をご確認の上ご応募ください。

【募集期間】
2017年8月23日(水)〜9月5日(火)

【周防大島町公式サイト】
http://www.town.suo-oshima.lg.jp/syoukoukankou/2017515_1_2_2_2_2.html

【星野哲郎スカラシップ選考委員会事務局】
周防大島町役場 産業建設部 商工観光課内
〒742-2301 山口県大島郡周防大島町大字久賀5134
TEL 0820-79-1003
FAX 0820-79-1022
E-mail syokokanko@town.suo-oshima.lg.jp


旅する巨人 宮本常一
「忘れられた日本人」などの著作で根強いファンを持つ民俗学者の宮本常一は、昭和を代表する空前の旅人だった。彼は73年の生涯に、地球を丁度4周する16万キロもの行程を日本全国に印した。泊まった民家は千件以上にも及び、野宿することも珍しくなかった。
宮本を物心両面から支えたパトロンの渋沢敬三が、宮本の業績を称していった言葉は有名である。「日本の白地図の上に宮本くんの足跡を赤インクで印していったら、日本列島は真っ赤になる」
戦前から戦後の高度成長期にかけ、日本の村という村、島という島を歩きつづけた宮本は、そこに暮らす人々の生活を記録するだけでなく、人の心をとろけさせるような笑顔と、全国行脚で培った該博な知識で人々を明るく励まし、彼らに誇りと勇気を与えることを忘れなかった。
いま、日本の旅のあり方は、名所旧跡を訪ね、各地の特産物を賞味して歩く消費型の旅から、旅することの意味を自らに問う思索型への旅へと、徐々にかわろうとしている。
そのとき、宮本の残した旅の意味が、あらためて大きな意義を持ってわれわれの心に迫ってくる。
汚れたリュックサックの負い革にコウモリ傘をつり下げ、ズック靴で歩くというのが、宮本流の旅のスタイルだった。ほとんど肩書きらしい肩書きをを持たずに、そんなむさくるしい恰好で見知らぬ土地を訪ね歩き、四千日を旅に暮らした宮本は、しばしば富山の薬売りと間違えられた。
にもかかわらず、宮本の訪問を受けた人々の記憶には、彼の印象が今もくっきりと刻まれている。宮本は旅先から強烈な印象を受け取る以上に、行った先の人々に忘れがたい印象を残した。こうした相互交歓関係の中にこそ、日本人の今後の旅を豊かにする重要なヒントが埋まっている。
宮本の旅には、日本人が現在、急速に失いつつある相互扶助の精神と経世済民の思想、一言でいえば、「公の精神」があった。彼の旅の記録を読むたび、完全に行き詰まってしまった現代日本を吹き抜ける懐かしい潮風のような温もりを感じるのは、おそらくそのためだろう。
宮本を敬愛してやまなかった作家の司馬遼太郎は、宮本の死に接して次のように述べている。「宮本さんは、地面を空気のように動きながら、歩いて、歩き去りました。日本の人と山河をこの人ほどたしかな目で見た人は少ないと思います」
宮本没後21年を経た今、彼の旅の精神は、人々の心の中に伏流水のような広がりを見せはじめている。宮本の足跡を辿りながら、新しいたびの意味を模索する若者もいるし、彼の著作に感動し、宮本の訪ねた離島を回って、すっかり見えにくくなってしまった日本人の姿を再発見しようとする、心ある官僚もいる。
深いまなざしを持って日本を丸ごと抱きしめた宮本の姿は、ようやく真価を発揮し、今後ますます輝きを増していくことだろう。(引用:日本を丸ごと抱しめた男・宮本常一/文・佐野眞一氏)

略歴
明治40年8月1日周防大島町(旧東和町)長崎に生まれる。
昭和4年大阪天王寺師範学校卒業後、小・中学校教育に専念。
昭和9年から柳田国男に師事して民俗学を学ぶ。
昭和10年渋沢敬三に師事。
昭和14年アチックミューゼアム研究員として全国各地の民俗調査に従事。
昭和36年「日本の離島」でエッセイスト・クラブ賞
昭和40年日本観光文化研究所所長。(武蔵野美術大学教授・全国離島振興協議会顧問)
昭和52年「宮本常一著作集」で今和次郎賞
昭和56年1月永眠。(同年勲三等瑞宝章)
昭和61年周防大島町(旧東和町)名誉町民(第1号)の称号を追贈される。

主要作品
忘れられた日本人・日本の離島・民俗学への旅 など

周防大島文化交流センター
周防大島町出身で名誉町民の民俗学者、宮本常一さんの関連資料展示室をはじめ、体験学習室や図書館などが完備された施設です。
宮本常一さんは民俗資料等の調査を通じ、全国各地の地域づくりに携わってきましたが、周防大島文化交流センターではその貴重な資料を保存展示し、地域づくりや人材育成のために活用することを目指しています。

住所
周防大島町平野417-11(Googleマップ
お問い合わせ
TEL 0820-78-02514
開館時間
9:30〜18:00
休館日 
毎週水曜日(※年末年始は12月28日〜1月3日)
展示室観覧料 
高校生以上300円・小中学生150円(※団体割引もあります)

人生の応援歌 星野哲郎
大正14年(1925年)9月30日、山口県大島郡森野村和佐(現・周防大島町和佐)に生まれる。本名、有近哲郎。
開導小学校、安下庄中学校(現・周防大島高等学校)を経て、子供の頃から憧れた高級船員を目指し、高等商船学校(現・東京海洋大学)に入学。昭和21年に卒業。日魯漁業(現・ニチロ)のトロール船「第6あけぼの丸」に乗る。2年後、腎臓結核を発病、下船して摘出手術。以後4年間の闘病生活に入る。同人誌、文芸誌への投稿、家庭教師などに活路を見出す。
昭和27年(1952年)、雑誌「平凡」の募集歌に入選した「チャイナの波止場」、昭和30年(1955年)、同人誌「新歌謡界」に発表した「むすめ巡礼」、昭和32年(1957年)、横浜開港100周年の歌募集で「浜っ子マドロス」「みなと踊り」が1、2位当選。作詞家への道を開いた。
昭和33年(1958年)、遠縁で幼なじみの有近朱實と結婚、後に一男一女に恵まれる。同年、日本コロンビアと専属契約、昭和39年(1964年)には日本クラウンの創設に参加し専属契約、その後昭和58年(1983年)にフリーとなり、現在までに創作した作品は4,000を超え、数々のヒット作を世に送り出してきた。
日本音楽著作権協会会長、日本作詩家協会会長などを歴任、功績が称えられ、昭和61年(1986年)に紫綬褒章、平成12年(2000年)には勲三等瑞宝章を受章。
昭和63年(1988年)6月16日に周防大島町(旧東和町)の名誉町民証を授与。


主要作品
「思い出さん今日は」(島倉千代子)、「恋は神代の昔から」(畠山みどり)、「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)、「三百六十五歩のマーチ」(水前寺清子)、「昔の名前で出ています」(小林旭)、「風雪ながれ旅」(北島三郎)、「兄弟船」(鳥羽一郎)、「女の港」(大月みやこ)、「雪椿」(小林幸子)、「みだれ髪」(美空ひばり)等々。

星野哲郎記念館
「男はつらいよ」「なみだ船」「アンコ椿は恋の花」「三百六十五歩のマーチ」「兄弟船」など、名曲の数々を手がけた周防大島町出身で名誉町民の作詞家星野哲郎さんの記念館では、人生を応援する「星野えん歌」を5つのゾーンで体験いただけます。

住所
周防大島町平野417-11 周防大島町東和総合支所(Googleマップ
お問い合わせ
TEL 0820-78-0365
開館時間
9:00〜17:00
休館日 
毎週水曜日(※水曜日が祝日の場合は翌日)
入館料 
高校生以上500円・中学生300円(※団体割引もあります)