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ポリネシアの伝統航海術を継承し、ハワイの人々のアロハスピリットをのせて世界を旅するホクレア号が、ハワイ州カウアイ島と姉妹島であり、ハワイへの移民を数多く輩出した周防大島へやってきました。(参考:HOKULE'A VOYAGE 2007 ホクレア号航海プロジェクト) ホクレア号が周防大島へ寄港した5/20(日)〜5/23(水)、5/27(日)〜5/28(月)の思い出を写真を交えながらお伝え致します。 |
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■2007年5月20日(日) ホクレア号周防大島寄港一日目 |
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5/18(金)の入港が予定されていながら天候悪化のため5/20(日)の入港となったホクレア号ですが、大島商船桟橋では約500人、椋野漁港では約3,000人もの大歓迎の中にホクレア号が入港しました。 E COMO MAI HOKULE`A ! |
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■2007年5月21日(月) ホクレア号周防大島寄港二日目 |
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公式行事により少しばかりクルーの皆さんを拘束してしまった一日でしたが・・・とはいえ決して堅苦しいものでなく彼らの行く先々で心の通う交流があったように思います。 ホクレア号ウエルカムパーティーの席にて「周防大島は少し自信を失っていたように思います。しかし現在その失った自信や誇りを取り戻そうと島に暮らす私達は一生懸命頑張っているところです。ホクレア号の挑戦は私達に大きな勇気を与えてくれました」とたどたどしい英語でナイノア氏に伝えると力強いハグで応えてくれたことは忘れられない思い出になりました。 |
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■2007年5月22日(火) ホクレア号周防大島寄港三日目 |
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クルーのみなさんにリラックスしてもらおうと時間を気にせず日本ハワイ移民資料館の訪問や周防大島元気村でイチゴ狩りや瀬戸アンドリュース(パットパットゴルフ)を楽しんで頂きました。 またナイノア氏が最初に海を教えてくれた師と尊敬するカワノヨシオ氏所縁の石を、氏と縁の深い沖家室島に奉納するという大きな目的のためナイノア氏をはじめクルーの多数が沖家室島に渡り、カワノヨシオ氏ならびハワイ移民の方々の法要が営まれました。 またカワノヨシオ氏が実際に使われていたと思われるカムロ針の作成を沖家室島の漁師である松本氏がクルーを前に実演されました。 停泊中のホクレア号では損傷したマストの部品が島内で木工店を営む藤井翁の手により修復されるという美談も生まれました。 夜には満天の星空の下、荒木汰久治氏を講師に大島商船の学生さんがホクレア号で宿泊を体験するという素晴らしいプロジェクトが実施されました。 |
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■2007年5月23日(水) ホクレア号周防大島寄港四日目 |
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4日間の周防大島滞在を終えたホクレア号は、次なる寄港地である広島へ向け出港しました。 椋野漁港ではホクレア号を見送ろうと平日の早朝にも関わらずたくさんの人達が集まり、有志による漁船団や大島商船の練習船「大島丸」も駆けつけました。 ホクレア号の日本航海を素晴らしいものにしようと、周防大島ではホクレア号を心から歓迎するため島がひとつになり、またクルーとの交流を通じて周防大島とハワイの絆がより強いものとなりました。 僅か4日間ではありましたが、瀬戸内に浮かぶ小さな島を舞台にホクレア号が提唱する「One Ocen One Peaple」を体現できたように思います。 Mahalo Hokule`a |
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Photo:T.Nishiyama |
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■この後に嬉しいサプライズがありましたが、その様子は後日改めてUP致します。 |
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