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■会社員時代編・第8章 ・・・ 告白

起業への決意が固まればするべきことがある。
両親、友人そして会社への起業(退職)報告である。

女房の両親は周防大島で自営業を営まれており、いわば起業に関しては大先輩である。
以前より義父にはそれとなく相談していたので察してくれていたのであろう。
特に驚いた様子もなく「そうか」と一言。
起業を経験した人だからこそ言える、厳しさと優しさの入り混じった会話の後、「頑張ってみい」という励ましの言葉を頂いた。
しかし私の母親には想像していた通り反対された。
つまりそれは企業に勤めることで得られる安定を望む親心であり、その気持ちは痛いほど分かったのだが、自分の気持ちが今更覆るはずもなくしぶしぶ納得してもらった。(本当のところは今も納得してくれていないと思うが・・・)

友人には起業に関して相談したことはただの一度もなかった。
退職について報告するときも起業に関しては一切触れなかった。
まだ何もない状態であれこれ言うのは性格的に苦手であり、ある程度形になってから報告しようというのが起業に触れなかった理由であるが・・・まあ我ながら嫌なヤツである。

職場や同期入社の友人へ報告する際は、退職すなわち離別ということで感傷的であった。
11年間という歳月は友情を深めるには短くない期間であり、別れを寂しいものとした。
プライベートな友人への報告はさらに難題であった。
これらプライベートな友人とは、長い間一緒に活動してきたバンドのメンバーである。
俗に言うインディーズバンドに熱中していた私は、CD等の音源をリリースしたり各地にショートツアーを実施したりとそこそこ精力的に活動していた。
私はヴォーカルかつソングライターというポジションであったので「脱退=バンドの解散」という図式が脳裏に浮かんだ。
それゆえメンバーには退職(Uターン)することを言い出せず、伸ばし伸ばしになっていた。
しかし、いつまでも黙っている訳にもいかないので機を見てメンバーと話し合ったのだが、果たして予想通りの解散という結果となってしまった。
覚悟していたこととはいえ罪悪感と寂寥感に苛まれた。
仕事の傍ら情熱を傾け続けたバンド活動に自らピリオドを打ったことは、皮肉にも起業に対してのモチベーションを高める結果となった。

これら横浜在住の友人とは逆に、地元の友人への報告は気楽なものである。
「会社辞めて帰るわ」
と単刀直入に報告すると
「帰ってどうするんで」
と一応は聞いてくるが
「まあ適当にの」
おいう私のの返答に
「ほうか」
といった感じのあっさりした問答の後
「じゃあ帰ってくるの待っとるわ」
と一言。
長い付き合い故、余計な詮索もない簡潔かつ暖かいものであった。

最後に会社(課長・部長といった上長)への報告であるが
形式通りの挨拶から始まり・・・
形式通りに慰留され・・・
形式通りに自分の意思の硬さを表明し・・・
形式通りに退職を受理して頂いた。
事務的な作業をこなすといった趣きでメンタル的な負担の少ない安易なものであった。

これら報告を終えたことで、もう後戻りはできなくなった。
残務整理や送別会の日々を過ごしながら、伏流水のように自分の中で起業へのモチベーションが高まっていくのを感じていた。