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■会社員時代編・第9章 ・・・ 男子志を立て郷里へ帰る

桜の咲く季節、その日を迎えた。
学校卒業後、11年間を過ごした横浜を離れる日を迎えた。

振り返ると、学生時代を過ごした周防大島での5年間が青春の日々であったように、横浜で過ごした11年間もかけがえのない日々であった。
自分という人間形成において、大きなウェイトを占めた濃密な歳月であった。
初めて見た16両編成の列車や自動改札にカルチャーショックを受け、満員電車や眠らない街に都会の洗礼を浴び、覚束ない会社業務に馴染めなかった上京当初が昨日のことのように思い出される。
刺激と不安に満ちた毎日を精一杯つっぱって過ごしていた。
そんな上京当時が懐かしく思い出され、帰郷のための荷造りに動いていた手が止まる。

学校卒業時、同級生の就職先は広島や関西方面が圧倒的多数を占めていたが、なぜか横浜を選んだ自分がいた。
一度しっかり東京というものを体験しておきたかったという漠然とした願望がそうさせたのだが、この選択に間違えはなかったと思う。
いわゆる高度成長時代以降、良い悪いは別として完全なる中央集権国家となった日本は東京を中心に動いてきた。
私にとっての東京とは特定地域を指す名称ではなく、ドラスティックに膨張、変貌を続ける東京という名の現象であり、それを体験することが当時の自分にとっては必要不可欠な命題であった。
これは東京に対する憧れというより、ある種のイデオロギーのようなものであったのかもしれない。
念願かなって上京し、東京というものを11年間に渡り体験したのだが、ついに東京というものを理解するには至らなかった。
しかし、自分にとっては理解することより体験することが重要であった。
肌で感じることにより得たモノにこそ、物事の本質が隠されていると思う。
横浜に在住し、東京という現象を目の当たりにできた11年間を生涯忘れることはないだろう。

気持ちの中で東京というものに区切りが付いた頃には部屋もすっかり片付いていた。
引越し業者が集荷した後の何もない部屋にたたずむ。
何もない部屋から始まった首都圏の生活が、何もない部屋に戻ったことで終わりを告げた。
桜の咲く季節に単身上京した田舎者が、桜の咲く季節に多くのモノを得て故郷へ帰る。