■周防大島帰郷編・第3章 ・・・ クライアント募集
webサイトの概略は構築できたが、商品やサービスのないwebサイトは、テナントのないデパートのようなものである。 現在の空虚なサイトを彩るべく、クライアントさんに参加頂くにはどうすればよいのか。 いろいろ悩んだ末に至った結論は、島内の製造業者さん、サービス業者さんにクライアントとして参加頂くため、クライアントが負うべきリスクは限りなく排除した。 これには、クライアントなくしてサイト運営が成り立たないという理由もあるが、インターネットで商品が売れる、お客さんが来店するという実績を得ることで、インターネットの有効性や可能性というものを周防大島に浸透させたいという願いがあった。
非常に独善的な持論で恐縮であるが・・・ 周防大島における特産品の販売であれ、サービス業であれ、人口流出に歯止めが利かない島内および周辺地域をマーケットとする現状のスタンスに、ある種の危機感を抱いていた。 消費者人口が先細りしていく過疎地域において、地産地消だけではいずれ限界をきたすのは必然の理である。 このような状況を鑑みれば、過疎高齢化の一途を辿る周防大島が生き残るためには、広島、大阪、東京といった都市部をターゲットとして活路を見出すことであろう。 人口密集地である都市部における顧客獲得こそが、周防大島の経済的自立につながると考えるのは強ち間違いではないと思っている。
言うは易し、行うは難し・・・ 顧客ルートの広域化を実現することが困難であることは十分承知の上であるが、座して暮らせど果報は訪れない。 素晴らしい自然環境、優れた商品を有している周防大島ではあるが、それらの知名度は残念ながら極めて低い。 フラグシップである大島ミカンでさえ、山口県から一歩外に出ればとたんに求心力を失う。 ポテンシャルを秘めながらも知名度の低さ、顧客ルートの乏しさに喘ぐ周防大島。 この現状を打開するには各種媒体による宣伝広告や情報発信こそが急務であるが、一個人のアクションで橋頭堡たらんとすればインターネットが唯一の手段であろう。
このような思惑を胸にクライアント募集のため島内業者さんへお願いに伺う。 会社員時代も経験したことのない初めての営業活動である。
「インターネット?あんとなモノひとつも役にたたん」 「ウチは間に合うとるけえ」 「今ちょっと忙しいんよ」 「あんた誰ねぇ?」
ある程度は予想していたが・・・実際これらの言葉を耳にすると結構ヘコむ。 一個人の志や理念など無力なものである。 とはいえヘコんでいる暇などない訳で、多方面に重ねてお願いすることで
「まあ頑張ってみんさい」
と半信半疑ながらご協力くださった業者さんのお陰で、各コンテンツが少しずつ彩られ始めた。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、周防大島は「みかんの島」として名高く、島における特産品のフラグシップといえば大島ミカンである。 しかし、その大島ミカンも、近年では生産者の方々の高齢化、農地削減や後継者不足等の問題により存続が危ぶまれている。 個人的に大島ミカンの復活は周防大島全体に元気を取り戻すカンフル剤として、もっとも注力するべき商品であるとの認識から、大島ミカンのブランド化という大望を抱いていた。 それには、みかん生産者さんのご協力が不可欠であるが、素晴らしいミカンをご提供頂いてもwebサイトを介して売れる補償はどこにもない。 大きなリスクをミカン生産者さんに押し付けることにもなりかねない。
しかし、大島ミカンのブランド化だけはどうしても諦められない。 義父に無理を言って、義父と懇意の篤農家さんを紹介してもらい、大島ミカンのブランド化に関する自分の理念や意気込みを熱くぶつけてみた。 熱くぶつけてみたのだが・・・正直なところ、これまでのクライアント募集における苦い経験から、リスクの高いこちらの申し出に、ミカン生産者さんの賛同を得るのは難しいだろうという胸中であった。 だが、その意に反して頂いた言葉は思いもよらぬ破格のモノであった。
「やってみようや」 「何かやるときに少々のリスクは当たり前よ」 「気にせんと思うたようにやってみんさい、協力するよ」
その言葉に、ただただ深く頭を下げた。 今の自分にできることはこれくらいだ。
多くの方々のご支援でwebサイトに魂が宿る。
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